力強く。
Soda fountainsでサポートベーシストのときからお世話になっている田中さんに、以前聞いていた企画、とうとう動き出したようです
みんなそれぞれに、
それぞれのやり方で。
ここに書けるくらいまでに、少し落ち着くことが出来たので、
少し書いておこうかと思います。
衝撃的な出来事が起こってから、
私は殆ど誰にも安否確認をしませんでした。
こういうときには特に、
本当に必要としている人たちのために、電話やメールをあけておかなくてはとか、
安否確認の連絡をしたがために、
受け取った人に、『心配してるから、少しでも早く安心させなくちゃ』と、
ものすごく大変な状況なのに返信を気にかけさせるんじゃないかとか、考えてしまって。
それに、ありがたいことに、SNSなどで無事を確認出来る人が多かったから。
その中で、
ずっと気にかかる人たちが居ました。
SNSなどでの確認も出来ない人たちで、
今でも時々電話やメールで連絡をとっていたその人と、
私も本当にお世話になった、その人のご両親や、嫁いで行ったお姉さんは、今も毎日ニュースで見るようなところに住んでいたから。
でも私は、怖くて連絡をすることが出来ませんでした。
毎日とても気になるのに、
ニュースを見ては思い出すのに、
怖くて怖くて、出来なかったのです。
1か月を過ぎて、しばらくしたある日、
私はようやく意を決して、メールを送りました。
すぐに返信が来たけど、
それまでの間、本当に怖かった。
受け取ったメールは、
その人自身も、ご両親やお姉ちゃんも、みんななんとか無事だったという内容。
まだまだ安心出来るような状況にないとは思うものの、
無事、生きてくれていたことが本当に嬉しくて、1か月と少しの間、抱えていた気持ちが一気にとけ出して、押し寄せました。
『今、電車を降りたから』とわざわざ電話をかけてくれて。
電話がかかってくるとは思ってなくて、
わんわん泣いていた私は、逆に励まされたような感じに
私から何の連絡もない理由も、
『そんなことだろうと思ってたから、ちょっと落ち着いたら、こっちから連絡しようと思ってたんだよ』って。
本当に、ありがたいやら、申し訳ないやら、、、
その電話で、
東京の様子や、故郷の様子、お葬式に行ってきたという石巻の様子を教えてくれました。
それを聞いてから、今は2週間以上経っているので、
少しでも状況が改善されていると願っていますが、
テレビでは放送出来ないような状況だったそう。
火葬場の空きがなかなかないため、
沢山のご遺体があり、みんなで埋めたこと。
場所がなくて、そんなご遺体のすぐ横で眠ったこと。
私には、とうてい想像しきれない光景です。
多くのところで言われることだけど、
忘れちゃいけない。
風化させてはいけない。
本当は、こんなところに書くつもりはありませんでした。
だけど、自分の気持ちも、ここに書けるくらいに落ち着いてきたこともあるし、
風化させちゃいけないという思いで、書きました。
いつもと殆ど変わらず暮らせている私たちは、
それぞれの考えで、
それぞれのやり方で、
だけど同じ思いを持って、
長期的に関わっていくべき事柄だと思います。
どうか、
一日も早い平穏が訪れますように。
今日もありがとう。
伽音
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