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2007年9月 4日 (火)

永遠について

今日はsoda関係の用事で梅田へ行っていました。
それはまた明日にでも書くとして。

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伽音は基本ネクラなので、考え込んで沈むこともあります。
今日はそんなことを書こうと思いました。


今日、用事が全て終わって、帰ろうと紀伊国屋さん横を通っている時、ふと『ずっとやくそく』というタイトルが見えました。
なんだか分からないけど鳥肌がたちました。

『ずっと』も『やくそく』も素敵なコトバではあるけれど、鳥肌がたつまでもないように思うのに。
何故だろう、と不思議に思いました。

それで、気付きました。
なんとなく、『永遠』を連想したんだと思います。

伽音の中では『ずっと』と『永遠』は別物です。
『ずっと』の方が短くて、すぐに使えるカンジ。
『永遠』は、使うには意味が重くてなかなか使えない言葉というカンジ。
死んだ後にも続いていくもの・終わりがないものというカンジ。

みんなは、この2つのコトバに対するイメージ、どんななんだろう???



で、『永遠』について考えていました。

そもそも、伽音は『永遠』ってないと思ってます。
少なくとも、今まで生きてきた中で残念な事に『永遠』には出会えませんでした。

『永遠の生命(若さも)』

『永遠の愛』

『永遠の時』

『永遠に続くもの』・・・

色んなコトバにくっつける事はできます。
でも、どれも結局は永遠にはなれない気がします。

寂しい考えかな?

でも、今はそう思う。
人の気持ちも、自然も、世界も、全部移りゆく。
何一つ留まっていてくれるものはなくて、置いていかれそうで不安になる。

何もかもに安心して、いつか永遠を信じていられるようになる時が来ればいいなぁという気持ちはあります。
永遠に、憧れてもいます。

だけど、手には入らないもの。
今はそう思う。



地球だって、人間だって他の動物や植物だって、周りにある道具や建物だって、全部永遠にはなれない。
輪廻は信じるけど、人の記憶も、死んでしまえばなくなるように思うから、記憶も永遠ではない。
存在しないかも知れないのに、どうして『永遠』っていう言葉は存在するんだろう?
そう考えました。

伽音が読んでおもしろいって言った、ホームページの管理人さんのやなちゃんに借りた『陰陽師』の小説。
安倍晴明が何度も博雅に『呪(しゅ)』について説明します。
博雅はまったく分からないみたいだけど、伽音にはよく分かる。

説明は難しいけど、心の中で思っているだけでは『呪』はかからない。
あ、字は怖いけど、「呪い」じゃないよ^^;
口から出てとか、紙に書いてとか、言葉にして初めて『呪』がかかる。

わかるかしら???

例えば、ココロの中で○○について『しんどい』と思っていたとするでしょ?
でも、自分でもその気持ちに気付かないふりをして、勿論人にも言わないでいる時は、なんとか大丈夫なのに、意を決して、気付かないふりをしていた気持ちを『やっぱりしんどい』と認めて、人にも言ったとするでしょ。
そしたら、なんだか一気に本当にしんどくなったりした事、ないですか?

伝わったかどうか、分からないけど、そういう事だと思う。
言葉にした時、その言葉に魂が吹き込まれるように意味をもって動き出す。


『永遠』は、どうして存在しないのに(多分)、言葉として存在するんだろう???
何度考えてみても、全然『これらしい』と思う考えが見つかりません。


『永遠』について、こんなに否定的に考える自分を思うと、電車の中で急にとても悲しくなりました;
だけど、考えずにはいられない。



また、『陰陽師』の本からで申し訳ないけど、前にも書いたように『散るからこその花ぞ』って、晴明が言うところがあるんだけど、この言葉にとっても感動したんです。
きっと、どうにかして、この言葉と結びつけて考えれば、何か見つかりそうな気がしています。

だけど、今の伽音のレベルではそこまで到達できないみたい;

また、じっくり考えていこうと思います。


あと、どのくらい、こんな事を考えながら過ごすんだろうなぁ。


今日もどうもありがとう。


                                 伽音

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コメント

『あなたが存在したという事実は、永遠に真実として残る』みたいな使い方だと、理解できるから、そういうののために『永遠』って言葉はあるのかなぁ。。。

投稿: 伽音 | 2007年9月 4日 (火) 20時46分

ないものだからきっとみんな憧れるんだろうね。
「想像できないぐらい・・・」深い決意をした時に表現する言葉じゃない。

投稿: ほんちゃん | 2007年9月 4日 (火) 22時34分

永遠が固定した状況のもの、ていうイメージが強いからじゃないかなあ。そんなものはない、ように思えるのは。。。
永遠に咲いている花、がないように。

でも、花でいうならこういうことはいえると思うんだ。
永遠に変化し続ける花。
咲いて、枯れて、地面に吸収されて、木の養分になって、、、というふうに。

表面に現れた「花」は永遠ではないけれど(変化するけれど)見えないところの「花の命」はあるときは「土」だったり「木」だったりして「永遠」に存在するんじゃないか、と。

投稿: かいつうめちゃん | 2007年9月 4日 (火) 23時29分

>ほんちゃんさん 確かにとっても深い気がします。
『絶対』っていうコトバみたいに、なかなか使えるものではありません;

>かいつうめちゃんさん ふむふむ。
素敵な考えだと思います♪♪♪

私は例えば人間で考えたりしてました。
よく、臓器提供者の方が亡くなっても、そのご家族の方は提供された人の中で生きてるって言ったりしますよね。

そういうカンジで、子孫には自分の遺伝子が含まれていくんだから、広い意味で『永遠』なんじゃないかと。
だけど、その人間が生きている地球も永遠じゃないから、やっぱりムリだわ、と思ったんです。
お花も同じように思ったんですが、人間で考えた時より素敵なイメージだったからか、その先を考えられました^^

地球がなくなっても、もしかしたら宇宙に漂うのかしら???と。
もし漂うのであれば、真空だし、腐ったりしないと思うし、そのまま何かにくっついて、どこかの星にたどり着くかも知れないし・・・と果てしないコトを考えてみると、それは永遠なのかも知れないと思ったり。。。

難しいですけど^^;

投稿: 伽音 | 2007年9月 5日 (水) 19時19分

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